ホームコンサートをおえて
「中島さんちのホームコンサート in SANO」 2009.7.4
7月4日・当日のタイムスケジュール
12:00 集合(東長崎のJIN宅)中島夫妻が車で迎えに・さとしクン合流
昼食〜打ち合わせ後、楽器機材などを搬入
13:30頃 出発〜「高松」から乗って一路高速道を「佐野藤岡」まで
ひと休みしてから、
打ち合わせ〜セッティング〜リハーサル
軽めの夕食をとる
18:00 受付開始
19:00 開演
20:45 終演(遅くとも21:00頃まで)
<プログラム>
前半
1 「吉野の紙漉き唄」 (奈良県民謡)
2 「風来(さすらい)」 (Original)
3 なんという淋しさ (すぎやまこういち 曲)
4 ふるさとの山(ラ・モンターニュ)(J・フェラー 曲)
5 しら萩のたより (すずききよし 曲)
6 「ジーン」 (R・マッケン 曲)
7 「バラはあこがれ」 (G・ベコー 曲)
― 休憩(約 20分) ―
後半
8 山本さとし On Stage 「ヒロシマの有る国で」ほか3曲
9 〃
10 〃
11 小さな橋の物語 (寺島尚彦 曲)
12 私の愛した街 (アイルランド民謡)
13 街灯(ファナリ) (ロシア民謡)
14 わが街の風景 (Original)
15 「私の一日」 (Original)
アンコール予定曲
16 「哀しみのソレアード」 (ツァッカー&バルダン 曲)
17 「それぞれの中で」 (Original)
※「 」付き青文字の曲は、山本さとしクンのギター伴奏のみで、
他の曲はすべて40年来の友人星野知信クンがアレンジしたカラオケを使用。
(星野クンは、40年来の音楽仲間で親友。今回のコンサートのために新たに
ストリングスを加えるなどアレンジでバックアップしてくれた。俺の
レコーディングした楽曲の9割方は彼の手によるものです)
昨年の11月以来8か月ぶり、長い間後援し続けてくれた
栃木県佐野市の皆さんの前で、信頼する後輩のシンガー
ソング・ライター山本さとしクンのギター伴奏で歌って
きました。
正月に柏の姉宅に泊まって以来の外泊で心配もありましたが、
頼りにしていた山本君も終始そばで気遣ってくれ、専門のケア
スタッフも現地で用意してくれていたので助かりました。
涙あり笑いあり・・・音楽的にはミスも多かったかも知れません
が、ひと月近くたった今、確かなものを分かち合い喜びを共に
できたと確信しています。
その後、「中島邸でのホームコンサートを無事終えて帰りました」と友人や
親しい人たちに報告メールしたところ、各地から色んなお祝いやら励ましの
Re:メールが届きましたので、今日はまずそんなお便りから紹介します。
◇「音楽って一生できるものですし、一瞬で人の垣根を取ってくれるものだから
いいですね。まだまだこれからも頑張って下さい」(浦安市の女性)
◇「11月14日の土曜尼崎のコンサートに出てもらえるかな?」
「介護事業は、老人介護も身体障害者介護も困っている人を助ける制度です。
あなたの社会貢献出来る期間に神が制限を与えたと理解したら、体力のある
うちに社会貢献しなさい、との助言と受け止める事もできます。私がアシスト
出来る事があればおおぃに歓迎です。」(兵庫県川西市の男性)
他に沢山いただいた感想やご意見は、「地元の東長崎でやって欲しい。そしたら
絶対参加するから」というものが多くありました。
最後に、今回は大変お世話になった山本さとしクンからです。
◇『じんさん、このたびはどうも有難うございました。
心に残る素敵なステージでした!
お仲間達も皆さん優しくて、これまでのじんさんの歌い手人生の
賜物なんだと思いました!
ひとつ終わってほっとされたかと思います。日常に戻られると思いますが、
どうぞお疲れ残りとなりませんように。
ギブソン磨いておきますね。また、CDづくりのお手伝いに、伺わせて下さい。
まずはゆっくりお身体お休みして下さい。』(山本)
また先日、佐野の皆さんからは以下のようなコンサートの感想文が届きましたので
ご紹介いたします。
◎全体的には、「また、やろうよ」とか、「尼崎に皆で行こうよ」とか、「ク
リスマスに呼ぼうよ」等々、スタッフのこの声に象徴されていると思います。
15畳の部屋の片隅のステージで精一杯歌ってくださった。そこにいた全ての
人の心にじんさんの歌声が響いたに違いありません。
◎79年に初めて佐野音鑑の会員交流会に来て頂いて30年経ちました。
今回のコンサートには少なからず、その時聞いていた人もいました。
82年に、「やまだじんを聞く会」を立ち上げた。その時コーヒーを入れて
くれたのは、現在佐野市議会議員のAさん。いつも辛口批評で、こちらは緊張
していましたが、「身体が不自由になってもあんなに歌う姿勢に感動した」と
コメントくれました。帰る時には「また声をかけてね。」と言ってくれました。
◎「じんさんの歌は今までで一番良かったよ。」と言ったのが通称コロちゃん(Wさん)。
人って失うものがあるとそれを埋めようとトテツもない力を発揮する。
障害をもたれてご苦労されている分、一皮も二皮も剥けて表現力が幅広く,豊かに
磨かれた。そんな気がしました。今、本当にいい味が出ていると思います。上手く
歌うというより、本当に心込めて歌う・・じんさんの歌い手としての人生がそのまま
歌に現れていると思います。
◎じんさんの歌の魅力は、なんと言っても声。太くてそれでいてソフトでナイーブで。
やはり、バラード調が一番あっていると思う。
なんという淋しさ、ジーン、小さな橋の物語、ファナリ、など等。シャンソンや愛
の歌、この路線で行けばよかったんじゃあナイン?
やまだじんはなにもシンガーソングライターじゃあなくってもよかったんじゃあ
ナイン?そんな声も。
◎それにしてももし、やまだじんが売れっ子になっていたら、私(たち)もこんなに
長いこと応援してないでしょう。その必要もなかったかも知れないし、ご本人も、
振り向きもしなかったんじゃあナイン? 逆に言えば売れなかったからこそこう
いう交流も、こんなコンサートも、出来たんでしょう。こういう人生をどういう
風にお考えでしょうか。(なーんて、ね)
◎今回、山本さとしさんの伴奏と歌がお手伝いされていて、そのコラボもとっても良
かったですよね。お二人の、先輩、後輩の雰囲気がとっても素晴らしかった。
それぞれの歌の持ち味が全然異なっていたので良かったのかも知れません。
◎音楽文化ってこうも私たちの日常を豊かに、潤いのあるものにしてくれるんで
しょうか。一瞬にして人と人の気持ちを一つにしてくれる。どんな活動、という
より人生も、なくてはならない必須のものと改めて思いました。
最後に主催の中島さんから・・・
◎「ホームコンサートで良かったのか、どうか。確かに狭い空間で一体感が生まれ、
連帯が持てたのは、確か。でも誘ううち限定しなければならないことに疑問も
出てきたのも確か、です。ここは、まだスタッフ間でも統一されてません。
じんさんの体調と相談しながら、よりよい方向に行きたいと思っています。」
(つづく)
「鶏飯」これぞおふくろの味
先日ひさびさにご近所のKさんとビールを酌み交わす。と云っても例の如くKさん持参なのだが、Kさんはビールはどうも苦すぎてと発泡酒を私はプレミアムな生を。そして翌日の夕食のこと、これからが本題。
夕方5時ころ「夕飯はどうするの?まだだったら支度しないで待ってて・・・気にしないで」とKさん。1時間ほどしてKさんの奥さん Y子さんがご持参下さったのが写真の料理。お家では「鶏飯」(ケイハン)と言ってるそうだ。4人分作るところに一人二人増えたって手間は同じ、おすそわけなんだからと返ってコチラを気遣っていただく始末。
娘の亭主、可愛い婿さんが好物なのだとか・・・近くに暮らす若夫婦のリクエストに応えて、奥さんが久々に腕を振るったものらしい。何の変哲もない丼物の一品料理に見えるかも知れないが、ここに家庭料理の心髄がギュッと詰まった逸品だった。
まず何と言っても材料の下ごしらえに手間がかかるのだ。共稼ぎの若夫婦は、帰りがだいたい8時頃、いくら好きだと言っても帰ってから準備して作っていると口に入るのは午前様になりかねないとか・・・そこでお姑のY子さんが可愛い婿さんのために腕を振るうことになるという。
レシピを伝えるのが本題ではないし詳しくは聞いていない。まず鶏肉(胸肉?骨付き、ささみ?俺には部位もわからないが)を煮てスープを作ることから。よくアクをすくい椎茸のもどし汁と昆布だし、カツオだしを加え味を調える。丼にあったかご飯をよそい、茹でた鶏肉を3、4センチの長さに手で裂いてたっぷり盛り付け、もどした椎茸は甘辛く含め煮して薄くそぎ切りに、手造りの卵焼きから錦糸卵を、糸に刻んだ海苔、青ネギ(小葱?わけぎ?)は小口切りにしてたっぷりと、そして最後に白胡麻を振り縁にワサビを添える。これにアツアツのスープをたっぷりとかけて、ハフハフと豪快にかっ込むのだとか。
ポイントはやはりスープでしょう!時間をかけて旨味を煮出した鶏スープに、椎茸・昆布・カツオの和風トリオが微妙なハーモニーを奏で、奥さんの愛情とKさんちで長年育まれた秘伝がギュッと詰まった逸品に仕上がっていた。時間と手間をかけて作って持って来ていただいたこのお料理、たとえわざわざ作ったのじゃなくおすそわけなんだからと言われても、ハフハフと奥さんの目の前で5分もかからず俺の胃の腑へ・・・いやはや申し訳ない。
(合掌)ご馳走様でした。
量はいらないけど飲んだ後の仕上げにも良いかも。さっぱりと癖のない上品な鶏スープは和風?チャングムの作る宮廷料理のようでもあり・・・これからの季節、暑い午後の昼下がり、遅めの昼飯に冷たくひやしたスープをかけて、な〜んてのも好いかも。お試しあれ。
嫁ぎ先募集中
嫁ぎ先募集中
◆ギブソンJ−45CHSB(SERIAL NUMBER - 064553)
'70s初期オリジナル、プロリペアマンによる微調整済。
30年ほど前、クロサワ楽器で購入。今は山本さとしクン
(シンガーソングライター「ヒロシマの有る国で」の作者
として知られる)に可愛がってもらっているD-28 と共に、
長い間俺の音楽生活を支えてくれた“愛娘”です。
全体にウェザーチェックと年代相応のキズはありますが、
きっちり調整されており演奏上は問題ないです。
塗装もオリジナルでチェリーサンバーストは希少とのこと。
ネックコンディション・フレットともに良好。ネックは
細みのナローネックで弦高低め、ハイポジッションでも
バレーコードでも弾き易くまたバランスも良好です。
低音も弾力感があります。サイドバックはマホガニー。
かなり使い込んで渋すぎるオリジナルハードケース付。
(※現状お渡しですので、神経質な方はご遠慮ください)
詳細と希望価格はメールにて。
7月4日のホームコンサート
テーマは、頑張り過ぎないこと!?
日が近づいて、山本さとしクンとのリハーサルにも力が入ってきたところだが、ご近所のOさんの奥様から今朝チェックが入った。「頑張り過ぎちゃダメよ」と。イノシシ年、確かに入れ込みすぎるのが悪い癖。
第1部前半=さとしクンのアコスティック・ギター伴奏で初期のオリジナル曲を中心に。
後半は、星野クンアレンジのカラオケでアルバム「我が町の風景」から数曲。
たっぷりめの休憩を挟んで
第2部前半=さとしクンOn Stage(とは云うものの3曲限定)。
そして又後半は、星野クン(今回のコンサートのために新たにストリングスを加えるなどアレンジでバックアップしてくれた、40年来の音楽仲間で親友。俺のレコーディングした楽曲の9割方は彼の手による)がアレンジしたオーケストラをバックにカラオケで。
締めくくりは又、さとしクンの伴奏でSingoutもしながら・・・と云う大まかな流れです。
(近所を散歩していて目にとまった桑の実です)
ポイントになるのは、この季節に相応しいラブソング
「JEAN」〜映画「ミス・ブロディの青春」より〜
かつてミュージカル「青春の歯車」で共演した槇みちるサンから借りたカセットテープにあった曲で、いっぺんにロッド・マッケンの渋い歌声に魅了されてしまったものです。
ある日たまたまJoeさんちのレコード棚からこの映画のサウンドトラック盤LPを発見。その頃取り組んでいた福岡・熊本での労音リサイタルで発表したいからと、Joeさんを介し同じく同郷の先輩・山川啓介氏に訳詩を付けていただいたものだ。
さてさて如何相成りますことか・・・
もう1曲ぜひ聞いてもらいたいと思っているのがオリジナルの「私の一日」
1981年。国際障害者年。
まさか当時、いまの俺の姿を誰が想像し得ただろうか。
その10年前、自分の結婚披露宴をした労音会館でのライブ・レコーディング・コンサート「われら人間だから」で発表した曲。結婚相手のグズラチャンに手伝ってもらって完成、おかげで一番印税を稼げる曲に仕上がった。
レコーディングにあたっても他の楽器は敢えて使わず、弾き語りにこだわって来たもので、自分の声とマーチンサウンドの掛け合いと云うか息のあった古女房とのような二人三脚ぶりを感じてもらえるか?
今回初めて自分以外の伴奏、さとしクンのギター1本で唄います。
「私は200メートル歩くのに40分かかります・・・と云う歌い出し。電動車いすを得てこの2月、家から約4キロほどの日大板橋病院まで単独行、受診に出かけた。気がつくと、冷たい北風に向かってこのフレーズをつぶやいていた。主人公のマリちゃんが200メートル歩くのと同じ、ちょうど40分かかっての到着だった。
『私の一日』 歌詞
私の一日
伊藤昌枝・山田 仁 作詞
やまだ じん 作曲
私は二百メートル歩くのに 四十分かかります
誰もが私の歩くのを見て 振り返ります
でも私は自分の足で 歩けることに
喜びを感じてます とてもゆっくりゆっくりだけど
お隣の犬や猫たちと 挨拶したり
クリーニング屋さんの植木鉢とも 言葉を交わします
誰でもが見過ごしてしまうような ささやかな出来事も
私には嬉しいのです だってみんな生きてるから
私は二百メートル歩くのに 四十分かかります
私の一日は ゆっくり精一杯
でも私は自分の足で 歩けることに
喜びを感じてます とてもゆっくりゆっくりだけど
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国際障害者年の1981年。
当時水道橋にあった労音会館ホールにて、音楽評論家の故・矢沢 寛氏と「三輪車一座」の故・川津恒一氏達が中心となってプロデュースした、ライブ・レコーディング・コンサート「われら人間だから」で発表した曲。
収録曲は、その後キング・ベルウッドレコードより2枚組LPとして発売された。
自分の歌は、当時まだ珍しかった三絃の弾き語りで「マヤユンタ」(石垣島の民謡)とこの「私の一日」の2曲。
前進座公演「太陽の子」に出演したことでご交誼をいただいた灰谷健次郎さんが、新刊を上梓されるたびに「恵存」と書いて贈ってくださった中に、「ひとりぼっちの動物園」と云う短編集があった。
その第1章「誰も知らない」という小品の書き出しが「私は二百メートル歩くのに四十分かかります」だった。
この言葉に衝撃を受け、「でも私は自分の足で 歩けることに 喜びを感じてます とてもゆっくりだけど」このフレーズだけを伝えたくて歌にしてしまった。
今、自分の足で歩けなくなった身にこの言葉は重い。
その後の「お別れ(?)コンサート」
40年も前のこと。
かつて俺が歌っていた西武新宿駅前のうたごえ喫茶「灯」に、佐野市からせっせと通い、その後は故郷の街で音楽鑑賞運動を続けてきた後援者がいる。
団体の例会にも取り上げてもらったり、小規模の地域コンサートを連続開催してもらったり、俺のギターと「日フィル弦楽五重奏団」とのジョイントを図ってくれたり、その後も有志を募って「やまだじんを聞く会」を立ち上げたり・・・と、40年間ず〜っと変わることなく熱い応援の炎を吹き付けてくれていた。
お家の中は「やまだじんのミニ博物館」化していて、あらゆる資料が全てそろっていると云う。そんな懐かしの資料の山から、古い写真などにも再会したいものだ。
この病気(ALS・筋萎縮性側索硬化症)の発症により、やむなく芸能活動から引退・廃業した俺に、もう一度会いたいから歌を聞きたいからと、ご主人をアッシーに仕立てて東京まで車いすの俺を迎えに来てくれるという。
当初5月30日に予定してくれていたのだが、脳梗塞で緊急入院などと云う事があったため、状態が落ち着くまで待つから必ず実現させたいと辛抱してくれていたのだ。
ナカジマさん宅のホームコンサート
〜 3年半ぶりにやまだじんさんを迎えて 〜
7月4日(土曜日)
時間:午後6時開場 7時00分開演
場所:佐野市中町538(中島英夫・純子邸のサロン)
問い合わせ:0283-86-3686
会費:¥2.000(20名 限定)
歌:やまだじん
ギター伴奏・友情出演:(フォークシンガー)山本さとし
お別れ?コンサート 延期のお詫び
突然のことで申し訳ありませんが、5月30日佐野・6月7日伊那
でのコンサートを延期いたします。
もう30日は昨日のことなのですが、コンサート案内記事に
寄せていただいた山本さとし君のコメントからご承知の方も
多いかと思いますが、改めてご案内させていただきます。
5月7日の夕方、突然目の前が真っ暗になり後頭部から首に
かけてと前額頭部が激しく痛み出し、こいつはただ事では
ないと判断、救急車を呼び日大板橋病院に緊急搬送。
すぐにCTとMRIを撮った結果は「脳梗塞」。そのまま昨年の
12月15日まで入院していた7B病棟-3に入院となりました。
左の後頭部にある視神経がやられ「右半盲」に。
視野を4等分した右下部分が見えなくなりました。目の神経を
やられると再生は困難だそうで、不便・不都合でもこのまま
受け入れて生涯付き合っていくほかないようです。
医者に言わせると、すぐ傍の小脳に及んでいたら大変なこと
になっていたそうで、ほかに麻痺などの後遺症もなく正に不幸
中の幸いと言って良いでしょうですって。
そのような訳で、ひとまず急性期をしのぎ23日に退院して
まいりました。
主催者の方々と改めて相談し、日程が出ましたら又ご案内
させていただきます。