2009-01-01から1年間の記事一覧

〜灯りを求めて〜やまだじん新春チャリティコンサート

=ともしびがふる里= 〜灯りを求めて〜 やまだじんチャリティコンサート Vol.2 2008年の暮れに難病の「筋委縮性側索硬化症(ALS)」を発症し、引退 を余儀なくされた歌声喫茶出身の歌手やまだじんが、同じ病に苦しむ 仲間とその家族を励まし、また、この病…

Al Di La(アル・ディ・ラ)

11月14日(土) 尼崎労働福祉会館大ホール 第4回いきいきシルバーコン サート / 西 勝二郎ピアノコンサート〜映画音楽の夕べ〜にゲストとして 招かれた。編曲家・星野知信氏の協力を得て、初めてカラオケでカンツォーネのスタン ダードナンバーでもあるこの…

それぞれの中で

それぞれの中で やまだじん 作詞・作曲 いま この時 別れの時 いつか また笑顔で 逢えるその日までそれぞれの 暮らしの中で それぞれが それぞれの 幸せを・・・

チャリティーは有料で?無料で? ムムム・・・さて?

10/12付 「〜灯りを求めて〜チャリティーコンサートを終えて」 の記事。『豊島区の障害者福祉サービス地域生活援助の「移動支援」が 10月から支給されることになったので早速申請してみたのだが、 今回のようなチャリティーコンサートに出演する為には使えな…

「あなたの歌を」 歌詞

あなたの歌を 石井美恵子 作詞 やまだじん 作曲 星野知信 編曲 神の試練に耐え抜いて 生まれた歌に出会いましたあなたの心の思いのたけが 波打つように伝わりました あなたが歌った昔の歌は 聞いてはなかった私だけど心にしみ入る歌でした やさしさあふれる…

DENさんの展覧会

栃木の古くからの友人・中島英夫くんがやっとその重い腰を上げた。 身は軽いのにねぇ(笑) シャイで心優しい人。 才能に恵まれた人というのはいつの時代にもいるもので・・・彼なんぞは正に そんな一人なのだろう。 油絵を描く。カメラと写真。料理造りと焼…

チャリティーコンサートをおえて

これが周五郎のいう“つゆのひぬま”とでも云うのだろうか。 10月4日、予報が外れて秋たけなわの爽やかな“新宿”に、長野県・栃木県・埼玉県・千葉県・神奈川県からと、遠来の方々も迎えて(予想をはるかに上回る66名の有料入場者!)無事〜灯りを求めて〜チャ…

11月14日のMenu - 予定曲目について

11月14日・尼崎「いきいきシルバーコンサート」では、以下の“唄っ子”たちを予定しています。 1)「アル・ディ・ラ」 2)「ジーン」 3)「花の結婚式」 4)「バラはあこがれ」 5)「あなたの歌を」 6)「私の一日」 7)「灯りを求めて」 1)「映画音楽の夕べ…

第4回 シルバーコンサートのご案内

第4回 シルバーコンサート ピアノコンサート 〜 西 勝二郎さんと共に 〜 11月14日(土)午後1:30〜4:00 尼崎労働福祉会館 2階大ホール 懐かしい想い出がよみがえる映画音楽 誰もが知っているポピュラーやジャズ 胸にしみる“日本の歌”・・・気持がほっと和…

『灯りを求めて』 歌詞

灯りを求めて 中島英夫 作詞 やまだじん 作曲 星野知信 採譜 山本さとし ギター編曲・演奏 他愛もない会話があり 他愛もない日常が流れ 汗流す日々の中で 何か愛おしく思える景色 他愛もない食事があり 他愛もない時が流れ 涙流す日々の中で 思いもつかない …

チャリティーコンサートによせて

先月27日に、故宮野原ジョニーさん(ドラマー)の4回忌を前に、 上條恒彦さんの音頭で吉祥寺ともしび時代からジョニーさんの 親友だった近藤 卓くんらと偲ぶ会をもった。その席上、何がきっかけだったのか?近藤くんから今回のような コンサートを強く勧めら…

10月4日 〜灯りを求めて〜 やまだじんチャリティーコンサート

=ともしびがふる里= 〜灯りを求めて〜 やまだじんチャリティコンサート 昨年の暮れ、難病の筋委縮性側索硬化症(ALS)を発症し、引退を余儀なく された歌声喫茶出身の歌手やまだじんが、同じ病に苦しむ仲間とその家族を 励まし、また、この病気の実情を広…

忘れられぬ友の言葉(3)

集中だ!7才年上、同郷の先輩に上條恒彦さんがいる。 初めての出会いは池袋西口、今みずほ銀行のあるビルの地下だった。 そこにはダンスホール、歌声喫茶、それとコンパ(カウンターバー)が。 コンパは馬蹄形で、大きなカウンターの周りには30席ぐらいあっ…

「ホームコンサート」をおえて(2)

感想はいっぱいあって何から語って良いのやら・・・?と思っている うちに日は過ぎ、このブログも更新できないまま月が替わってしまい そうで焦っていた。 言い訳がましくなるが、車イスに腰掛けたままPCのキーボードを叩く 動作がきつくなってきた。 デスク…

ホームコンサートをおえて

「中島さんちのホームコンサート in SANO」 2009.7.4 7月4日・当日のタイムスケジュール 12:00 集合(東長崎のJIN宅)中島夫妻が車で迎えに・さとしクン合流 昼食〜打ち合わせ後、楽器機材などを搬入13:30頃 出発〜「高松」から乗って一路高速道を「佐野藤…

「鶏飯」これぞおふくろの味

今日は久々の「美味しい話」先日ひさびさにご近所のKさんとビールを酌み交わす。と云っても例の如くKさん持参なのだが、Kさんはビールはどうも苦すぎてと発泡酒を私はプレミアムな生を。そして翌日の夕食のこと、これからが本題。夕方5時ころ「夕飯はどうす…

嫁ぎ先募集中

嫁ぎ先募集中◆ギブソンJ−45CHSB(SERIAL NUMBER - 064553) '70s初期オリジナル、プロリペアマンによる微調整済。30年ほど前、クロサワ楽器で購入。今は山本さとしクン (シンガーソングライター「ヒロシマの有る国で」の作者 として知られる)に可愛がっ…

7月4日のホームコンサート

テーマは、頑張り過ぎないこと!?日が近づいて、山本さとしクンとのリハーサルにも力が入ってきたところだが、ご近所のOさんの奥様から今朝チェックが入った。「頑張り過ぎちゃダメよ」と。イノシシ年、確かに入れ込みすぎるのが悪い癖。第1部前半=さとし…

 『私の一日』 歌詞

私の一日 伊藤昌枝・山田 仁 作詞 やまだ じん 作曲私は二百メートル歩くのに 四十分かかります 誰もが私の歩くのを見て 振り返ります でも私は自分の足で 歩けることに 喜びを感じてます とてもゆっくりゆっくりだけど お隣の犬や猫たちと 挨拶したり クリ…

その後の「お別れ(?)コンサート」

40年も前のこと。 かつて俺が歌っていた西武新宿駅前のうたごえ喫茶「灯」に、佐野市からせっせと通い、その後は故郷の街で音楽鑑賞運動を続けてきた後援者がいる。 団体の例会にも取り上げてもらったり、小規模の地域コンサートを連続開催してもらったり、…

お別れ?コンサート 延期のお詫び

突然のことで申し訳ありませんが、5月30日佐野・6月7日伊那 でのコンサートを延期いたします。 もう30日は昨日のことなのですが、コンサート案内記事に 寄せていただいた山本さとし君のコメントからご承知の方も 多いかと思いますが、改めてご案内させていた…

お別れ?コンサート

かつて俺が歌っていた西武新宿駅前のうたごえ喫茶「灯」に通い、その後故郷に帰って音楽鑑賞運動を続けてきた後援者たちがいる。はたまた、かつては一大ブームを巻き起こしたフォークソングが商業主義に流れていく中で、地域に根ざした自分達の唄を持とうと…

真冬の郷土食

郷里の先輩JG1さんから。懐かしいですね、郷土食についてのコメントをいただいた。 お蚕のサナギ、カミキリ虫の幼虫、蜂の子・・・姿かたちも煮ている時の独特の匂いも、口に含んでプチッと噛んだ後のトロリとした食感、今もまざまざと思いだすことができま…

開運堂の特大シュークリーム

マイミクの「TOMOちゃ」から近況を聞かせてもらった。 たいていは○○ちゃんとか云うのだろうが、田舎ではこう約めて呼ぶのだ。『開運堂恒例の2/4-2/28特大シュークリームお一人様1箱(5個入り)限り 直営全店にて2時30分より販売のお知らせ』・・先着50…

ナイス・ミーチュー!・・・?

廃業しリタイヤしたというのに、年明けから何やかやと忙しい。 会社を閉じたといっても、結構その後始末が大変なのだ。その後 の様子を気遣ってくれたり、見舞いに訪れてくれる人も多い。 電機大の講師をしているニュージーランド人がいる。 今日は授業前に…

忘れられぬ友の言葉(2)

もっと自分に強くなってください高校入学と同時に牛乳屋でバイトしながら自活し、部活でサッカーを 続けたが、夏の山中湖合宿後あたりから体が付いて行かなくなった。 登校拒否というのとは全然違うのだが、学校をさぼる日が多くなり、 ついに単位が得られず…

忘れられぬ友の言葉(1)

11月。検査で入院するにあたり「正月にかかるかも・・」と言われ、今年は 年賀状は出せないよって伝えた。 それでも案内漏れもあるし、病気見舞いや励ましの言葉と共に今年もたくさんの 年賀状をいただいた。 生まれ故郷の信州からは小学校以来の友が、三浦…

娘との距離

去年の入院以来、あれこれと身の回りの世話を焼いてくれているのは2人の娘。 おとといは今年になってから初めて、長女がやって来た。 24の時の子、周りからは子供が子供を作ったとからかわれた。 名付け親は、Joeさん夫妻。灯で出会った二人の子だから、“灯…

・・・人って、さまざまだね。

寒い日が続いている。 正月は柏の姉宅で4日まで厄介になった。 2人の姪には4人のチビッ子(姪の子って何て云うんだっけ?)。 一家10人にプラス1の俺。病気のことを知っているみんなに気遣って もらうなかで、当方はいたってのんびりと過ごす。 晴れ着も初…

痛い思い出

今年はついに何処へも誰にも年賀の挨拶はしなかった。 熊本の“おばちゃん”にTEL。一昨年亡くなった母代りの長姉と同い年 で、40年来応援していただき見守ってくれていた身内も同然の恩人だ。 もう仲々行き来できない、近況を伝えあっているうちにアッと30分…