11月14日のMenu - 予定曲目について

11月14日・尼崎「いきいきシルバーコンサート」では、以下の“唄っ子”たちを予定しています。


1)「アル・ディ・ラ」
2)「ジーン」
3)「花の結婚式」
4)「バラはあこがれ」
5)「あなたの歌を」
6)「私の一日」
7)「灯りを求めて」


1)「映画音楽の夕べ」なので、幕開けに誰でもよく知っているトロイ・ドナヒュー&スザンヌ・プレシェット主演の「恋愛専科」より、主題歌のカンツォーネ「アル・ディ・ラ」に挑戦。

間に合えば、友人の編曲家・星野知信クンからオーケストラアレンジのカラオケが届きます。カラオケが間に合わない場合は、山本くんのギター伴奏で。その時はソフトな語り口のバラッドになることでしょう。


2)映画「ミス・ブロディの青春」より。作曲者のロッド・マッケン自身が歌っていたテーマ・ソングで、渋い歌声が素晴らしく、印象的でした。

かつて奈良労音のリサイタル例会で、関西を代表するフルバンド「居上 博とファインメイツ」の伴奏で歌った思い出もあります。


3)同郷の先輩・上條恒彦さんが ’69年11月・東京厚生年金会館ホールでの初リサイタルで発表した。大変古い作品ですが、今の時代でもそのみずみずしさを失っていません。

童画家いわさきちひろサンがご主人の松本善明(元代議士)サンとの結婚の経緯を綴った「わたしの絵本」からのエピソードをもとに生まれました。詩人・土井大助さんが書かれた詞に、お馴染みの作曲家・すぎやまこういちサンが曲をつけています。


4)シャンソン界の巨匠ジルベール・ベコーの作品で、多くの歌手が取り上げ紹介されています。「うたごえ」の皆さんの愛唱歌としても広く流布されているようです。

この曲では、会場の皆さんと一緒にシングアウトしようと思っています。


5)ほやほやの新曲です。このたびの尼崎が初発表の場となります。

7/4、栃木県の佐野市で長い間応援し続けてくれた「やまだじんを聴く会」の仲間たちが、木工作家中島英夫氏宅に集まり、『もうギターも持てないし歌えなくなったのでお別れに来ました』という、俺のお別れコンサートをひらいてくれた。
直ぐにどやしつけるようにしてIMさんという中心メンバーの女性から、励ましの便りが後を追いかけてきました。詩的な言葉が随所にきらめくのを見ながら、友人の編曲家・星野知信クンの留守番電話に浮かんでくるメロディーを即興で吹き込み、それを彼が採譜し曲として仕上げてくれたものです。

同様に、このたび尼崎で歌う機会を作ってくれた古くからの友人・Yさんからも『あなたの社会貢献出来る期間に神が制限を与えたと理解したならば、体力のある今のうちに社会貢献しなさいとの助言と受け止める事もできます』と、このようなメッセージを送って頂いた。
これが俺の今後の生き方を決めるキーワードとなり、再び尼崎にやって来ることができました。

この曲は伴奏楽器をピアノで想定し、女声コーラスが合うように考えて作ったものです。星野知信(編曲家)クンのアレンジと、ピアノ伴奏譜・女性コーラス譜が間に合えば、西先生にピアノを弾いていただき第3部に登場いただく女性陣で歌っていただければ・・・などと夢の様な事を勝手に考えています。


6)国際障害者年の1981年。

当時水道橋にあった労音会館ホールにて、音楽評論家の故・矢沢 寛氏と「三輪車一座」の故・川津恒一氏達が中心となってプロデュースしたライブ・レコーディング・コンサート「われら人間だから」で発表した曲。

収録曲は、その後某レコード会社より2枚組LPとして発売された。

自分の歌は、当時まだ珍しかった三絃の弾き語りで「マヤユンタ」(石垣島民謡)とこの「私の一日」の2曲。

前進座公演「太陽の子」に出演したことでご交誼をいただいた灰谷健次郎さんが、新刊を上梓されるたびに「恵存」と書いて贈ってくださった中に、「ひとりぼっちの動物園」と云う短編集があった。

その第1章「誰も知らない」という小品の書き出しが「私は二百メートル歩くのに四十分かかります」だった。

この言葉に衝撃を受け、「でも私は自分の足で 歩けることに 喜びを感じてます とてもゆっくりだけど」このフレーズだけを伝えたくて歌にしてしまった。

今、自分の足で歩けなくなった身にこの言葉は重い。


7)10/4に新宿のうたごえ喫茶「ともしび」で難病ALS患者の支援と啓蒙のためのチャリティーコンサートを開いた。ブログ「風来(SASURAI)だより」9/11付の一文を読んでくれた木工作家の中島英夫クンがコメントを寄せてくれ、それを声に出して繰り返し読んでいるうちに歌になってしまった。

例のごとく友人の星野クン宅の留守電に口三味線で吹き込み、それを譜面に起してもらい、ギタリストの山本くんに送ってコード付けとギターアレンジを施してもらいました。

そして10/4のコンサートでは、晴れてテーマ曲として発表することができました。

第4回 シルバーコンサートのご案内

第4回 シルバーコンサート


ピアノコンサート
〜 西 勝二郎さんと共に 〜


11月14日(土)午後1:30〜4:00
尼崎労働福祉会館 2階大ホール

 懐かしい想い出がよみがえる映画音楽
  誰もが知っているポピュラーやジャズ
   胸にしみる“日本の歌”・・・

気持がほっと和むようなそんな午後のひとときを
共に過ごしませんか


第1部 映画音楽の調べ

栄光への脱出
「遥かなる山の呼び声」
ムーンリバー
「宿命」〜砂の器より〜
・・・他


第2部 《ゲストコーナー》 やまだじんコンサート

  歌:やまだじん 
ギター:山本さとし

「アル・ディ・ラ」
ジーン」
「花の結婚式」
「バラはあこがれ」
「あなたの歌を」
「私の一日」
「灯りを求めて」


第3部 西さんと“大みんな歌う会”
西さんのピアノ伴奏と共に、みなさん一緒に歌いましょう


【やまだじんプロフィール】

1947年8月11日 長野県松本市に生まれる。

1971年 当時西武新宿駅前にあった「うたごえ喫茶 灯」で唄っていた頃、郷里の先輩歌手・上條恒彦さんに見出され、プロ歌手への道を歩み始める。

以来、愛用のギターMartin D-28を肩に、全国各地の鑑賞団体やライブハウスなどを中心に草の根ライブとコンサート活動を続けてきた。

また、数多くのTVドラマ(「Gメン'75」)・芝居(前進座「太陽の子」)・舞台(ミュージカル「青春の歯車」)等々で俳優としても幅広く活動をして来た。

地元の街では、ライフワークとして月1回の「うたごえ喫茶長崎の鐘』」、自作の曲と好きなシャンソン等を唄う「やまだじんのホームタウンコンサート」など、ギター弾き語りによるライブ活動も続けて来た。

しかし昨年12月10日、入院先の日大板橋病院にて特定疾患(難病)「筋委縮性側索硬化症」との診断を受け、2008年12月末日をもって40年に及んだ芸能活動他すべての事業活動を停止し、廃業するに至った。


【山本さとしプロフィール】

福島県会津喜多方市熊倉町生まれ。

日本社会事業大学社会福祉学部卒。

9歳で兄よりフォーク・ギターを譲り受け「明星」の歌本やソノシート付き通信教育(石川鷹彦氏監修)で独学開始。
13歳で日記の延長でオリジナルを書く。
月2曲ペースで書き、以来、現在までマイペースな歌作り生活に。

アコースティック・ギターでの弾き語りには定評があり、全国に身近なフォークソングやポピュラーソング、オリジナルソングを手渡している。

山本さとし〜フォークソングの風に吹かれて〜http://pws.prserv.net/jpinet.sy3104/


【主催】  いきいきシルバーサポート倶楽部(良い映画を観る会)
【お問い合わせ】TEL:090-1968-7444(薮内) FAX:06-6412-7174

予約制です! 参加費1.000円を添えてお申し込みください

『灯りを求めて』 歌詞

   灯りを求めて


                中島英夫 作詞
               やまだじん 作曲
                星野知信 採譜
        山本さとし ギター編曲・演奏


他愛もない会話があり
他愛もない日常が流れ
汗流す日々の中で
何か愛おしく思える景色


他愛もない食事があり
他愛もない時が流れ
涙流す日々の中で
思いもつかない 出会いがある


   一日の終わりを やりきれない思いで
   置き場のない体を どこに 沈めたらいいのか


ただ うろうろする 苛立ちの中で
ほんの少しだけ 安らぎがあった



他愛もない会話があり
他愛もない日常が流れ
汗流す日々の中で
過ぎ去った日の思い出


   たくさんの励ましに ふと 我に返った
   いつの間にどこで 道をまちがえたのか

      
でも 他愛のない会話の中で
ほんの少しだけ 灯りが見えた

ほんの少しだけ 灯りが見えた

チャリティーコンサートによせて

先月27日に、故宮野原ジョニーさん(ドラマー)の4回忌を前に、
上條恒彦さんの音頭で吉祥寺ともしび時代からジョニーさんの
親友だった近藤 卓くんらと偲ぶ会をもった。

その席上、何がきっかけだったのか?近藤くんから今回のような
コンサートを強く勧められ、彼に会場探しなどを一任した。
フットワークのいい彼は、その日のうちに後輩に当たる現在
「ともしび」の社長を務める大野君に話を通し、空きスケジュールを
さっそく押さえてくれた。


“ふる里”のような「ともしび」だが、丸3年の間俺を育んでくれた
西武新宿駅前の「灯」は既になく、ここ新宿店は“優しい継母”の
ような存在なのだ。
先輩の加藤(旧姓伊藤)晴夫さんも健在で歌っているし、亀戸店では
いつも温かく歓迎してくれた金指くんもいる、吉祥寺以来ずっと厨房
で腕をふるっている大貫くんにも会える。
大野社長が陣頭で歌い、次世代の若いスタッフ達にうたごえの魂を
伝えてくれようとしている。


ALSに苦しむ人たちを励ましたい、治療法さえ分からない難病のことを
わかってもらいたい!そんな俺の背を強く押してくれたのは、11月に
尼崎で出演の機会を作ってくれた古くからの友人・Yさんの言葉。
『あなたの社会貢献出来る期間に神が制限を与えたと理解したならば、
体力のある今のうちに社会貢献しなさいとの助言と受け止める事も
できます』


隗より始めよ!
芥子粒のような個人でも、ひとりの力の如何に大切なことか。あの
小さな芥子粒が核になって、金平糖も綺麗な花を咲かせるのだ。
7/4の佐野から今日に至る道程を振り返ってみる。40年来応援し
続けてくれたNJさんの「思い」だけ。そこから全ては始まっている
と思う。


このコンサートは、小さな芥子粒のような集まりかもしれないが、
〜灯りを求めて〜遍路の門出としたいと思っている。
そして一期一会の生きている証しとして、いま一度皆さんと深まり
ゆく秋の一日を共有したいものです。

どうぞ“新宿に”お出かけください!


今回もアコスティックギターの伴奏で俺をサポートしてくれるのは、
かのピート・シーガーからも希有なフォークシンガーとして、その
偉才を認められているシンガーソングライターの山本さとしクン。
福祉の専門家でもある彼のサポートなしに、今や俺の歌も生活もあり
得ないと思っている。

40年間俺に連れ添い、いつも語りかけ励ましてくれたD-28 は春から
彼の手元で慈しんでもらっている。嫁ぎ先の決まらないギブソン
共に、10月4日は彼の手で俺の歌に寄り添い、再び支えてくれる筈だ。

やまだじん


10月4日 〜灯りを求めて〜 やまだじんチャリティーコンサート

=ともしびがふる里=
                 〜灯りを求めて〜 
やまだじんチャリティコンサート
           

昨年の暮れ、難病の筋委縮性側索硬化症(ALS)を発症し、引退を余儀なく
された歌声喫茶出身の歌手やまだじんが、同じ病に苦しむ仲間とその家族を
励まし、また、この病気の実情を広く知っていただくためにふる里のような
「ともしび」で再び歌います


歌:やまだじん
ギター伴奏:山本さとし


日時:2009年10月4日(日)12:00開場 
         13:00開演 〜 15:00終演

会場:うたごえの店「ともしび」新宿店
http://www.tomoshibi.co.jp/utagoe/  
 新宿区新宿3-20-6 FSビル6F(靖国通り沿い・アドホックビル並び)


料金:おひとり様2000円 ワンドリンク付き
  (全ての収益は「やまだじんを聴く会」より日本ALS協会(JALSA)に寄付されます)
予約&お問い合わせ:
   ◎ 株式会社ともしび  TEL03-3352-0231 / info@tomoshibi.co.jp
   ◎ やまだじんを聴く会 TEL03-6386-6521


(参考資料;写真は佐野でのホームコンサート風景です)



< プログラム >

     前半

1 「吉野の紙漉き唄」(奈良県民謡)
2 「風来(さすらい)」(やまだじん 曲)
3 「なんという淋しさ」(すぎやまこういち 曲)“ミュージカル「青春の歯車」”より
4 「ふるさとの山」(ラ・モンターニュ)(J・フェラー 曲)
5 「しら萩のたより」(すずききよし 曲)
6 「ジーン」(R・マッケン 曲)“映画「ミス・ブロディの青春」”より
7 「バラはあこがれ」(G・ベコー 曲)

    ― 休憩(約 20分) ―

     後半

8 「ふる里の樹」(山本さとし 曲)
9 「夢のシナリオ」(山本さとし 曲)            
10 「ヒロシマの有る国で」(山本さとし 曲)          
11 「小さな橋の物語」(寺島尚彦 曲)
12 「私の愛した街」(アイルランド民謡)
13 「街灯(ファナリ)」(ロシア民謡
14 「わが街の風景」(やまだじん 曲)
15 「私の一日」(やまだじん 曲)



やまだじんプロフィール

1947年8月11日 長野県松本市に生まれる。

1971年 当時西武新宿駅前にあった「うたごえ喫茶 灯」で唄っていた頃、郷里の先輩歌手・上條恒彦さんに見出され、プロ歌手への道を歩み始める。

以来、愛用のギターMartin D-28を肩に、全国各地の鑑賞団体やライブハウスなどを中心に草の根ライブとコンサート活動を続けてきた。

また、数多くのTVドラマ(「Gメン'75」)・芝居(前進座「太陽の子」)・舞台(ミュージカル「青春の歯車」)等々で俳優としても幅広く活動をして来た。

地元の街では、ライフワークとして月1回の「うたごえ喫茶長崎の鐘』」、自作の曲と好きなシャンソン等を唄う「やまだじんのホームタウンコンサート」など、ギター弾き語りによるライブ活動も続けて来た。

しかし昨年12月10日、入院先の日大板橋病院にて特定疾患(難病)「筋委縮性側索硬化症」との診断を受け、2008年12月末日をもって40年に及んだ芸能活動他すべての事業活動を停止し、廃業するに至った。



山本さとしプロフィール

福島県会津喜多方市熊倉町生まれ。

日本社会事業大学社会福祉学部卒。

9歳で兄よりフォーク・ギターを譲り受け「明星」の歌本やソノシート付き通信教育(石川鷹彦氏監修)で独学開始。
13歳で日記の延長でオリジナルを書く。
月2曲ペースで書き、以来、現在までマイペースな歌作り生活に。

アコースティック・ギターでの弾き語りには定評があり、全国に身近なフォークソングやポピュラーソング、オリジナルソングを手渡している。

練馬区石神井在住。


山本さとし〜フォークソングの風に吹かれて〜http://pws.prserv.net/jpinet.sy3104/

忘れられぬ友の言葉(3)

集中だ!

7才年上、同郷の先輩に上條恒彦さんがいる。


初めての出会いは池袋西口、今みずほ銀行のあるビルの地下だった。
そこにはダンスホール歌声喫茶、それとコンパ(カウンターバー)が。
コンパは馬蹄形で、大きなカウンターの周りには30席ぐらいあったろうか。
そこでアルバイトのバーテンダーをしていた、浪人生20歳の春。


入って左側、パーテーションで隔ててあったのが「歌声喫茶・山小屋」。
後からつらつら思うに、その日店は東京労音の貸し切りだったようだ。
国労音制作ミュージカル「青春の歯車」を取り組むにあたっての
集会が開かれていて、出演者の中から主役「ダンプの鉄」の相手役「健一」
だったJoeさん(上條恒彦)が、その日ゲストとして招かれていたのだ。
“♪君の瞳にボクの白い歯写ってる・・・♪”と主題歌を何度も何度も
歌唱指導していた。

休憩場所が隣のコンパで、出演者にお冷を出したりおしぼりを出したりと
接待役をしていたのが俺だったというわけ。
ポツリポツリと言葉を交わしながら、同郷の先輩で7つ上の兄と同い年
と知った。


これが縁で、「訪ねて来いよ」と云われてから1年後の春、山小屋が
つぶれたのを機にJoeさんが時折ゲストシンガーとして出演していた
西武新宿駅前にあった「うたごえ喫茶・灯」を訪ねた。

穴倉の様だった山小屋と全然違って、華やかな照明も赤々と駅前の
角地2階と3階を占めるフロアにはびっしりと客が埋め尽くし、ピアノ
トリオが2バンド入っていたステージはまるで劇場のようだった。
そこで1年ぶりに聞いたJoeさんの歌声、こんな歌もありかよ?!
ステージを踏みしめ蹴りつけ吠えまくるような「ジェリコの闘い」。
強烈な存在感に圧倒された。

支配人の柴田 伸さんを紹介され、その日のうちにステージリーダー
見習として採用された。月給¥20.000、うたごえ歌手の出発(たびだち)
だった。


朴訥で口が重いというイメージ通り。言葉が口からこぼれ出る前に、
腹中でじっくり吟味してからという話しぶりなので、対面して話を
しながら途中で数秒ぱたっと言葉が止まるなんてことがままある。
コチラとしてはそんな時、息をとめたままギュッと緊張を強いられた
ものだ。

自分では心の師匠と仰ぎ兄事してきたので、60を過ぎた今でもJoeさん
の前に立つと、若き二等兵の如く心身直立不動している。


歌や音楽の手ほどきを懇切丁寧に教えてもらった記憶はない。
いつも身近に侍っていただけ。見て聴いて覚える、芸は盗むもの。
そんな時代だった。
まだフルバンドも全盛の頃で、バンドの使い走りをしたり、譜面配り
や整理などをしていたバンドマン見習いの事をバンドボーイ(通称
ボーヤ)と言ったが、俺なんかはさしずめ上條恒彦の押しかけボーヤ
だったのだ。


時間があったりして気が向くと、そのごつい指で鍵盤を叩きながら、
ちょっと歌ってみろなんてこともあった。口癖のように言われた
のは、集中しろ!の一言。歌詞が覚えられなくてよく間違えては、
ドスの利いた声でまた「集中だぁ!」と。


譜面の整理を手伝いながら譜面の書き方も教わった。
ピアノもベースもサックスもみんな独学で、採譜も写譜もする人、
努力の人。これがぴったり。
その頃ちょうどフォークブームの走りで、ギターも弾き始めていたが、
決して器用とは思えない指先で難しいコードを使っていた。

自分も必死で彼の後を追ってみたがとても真似できるものではなかった。
膨大な時間と努力がいる、やり続けるというのは確かに才能だね。
俺なんか結局、ギター1本満足に弾けないまま音楽人生を終えてしまった。

余談だが、歌声喫茶に「フォークソング」と「ギター」と「ジーンズ」を
初めて持ち込んだのは彼、上條恒彦です。


弟子だなんて吹聴するなよ、師匠だなんて思ったことはないんだからが
口癖。人に紹介される時、必ず彼は「僕の友人です」と言ってくれて
いた。(これって凄いことでしょ!)


   (2009年4月5日 見舞いに訪れてくれたJoeさんと 事務所にて)


 ※ 1970年代の上條恒彦を語るキーワード

焼き肉「明月苑」〜とんかつ「三金」〜珈琲「TOP」〜ステーキ「A1」
「里」〜「鱒の鮨」〜“おばちゃん”〜「六調子」〜「植木屋」

そのうちおいおい紹介したいと思っている。

「ホームコンサート」をおえて(2)

感想はいっぱいあって何から語って良いのやら・・・?と思っている
うちに日は過ぎ、このブログも更新できないまま月が替わってしまい
そうで焦っていた。


言い訳がましくなるが、車イスに腰掛けたままPCのキーボードを叩く
動作がきつくなってきた。
デスクに向かう体勢を保持していられないのだ。
それにキーを叩ける右手5本の指はすぐ疲れてしまい、小指薬指と順に
力が入らなくなってきて、しまいには人差し指だけでポツリポツリと
打っている有様なのだ。


ライブ録音?ただコンサートの「記録」をと思ってポータブルDATを
足もとで回していただけなのだが、滋賀県に暮らす古くからの友人Y
くんが、CDに焼けるように編集してくれた。
大変なオーディオ通でもあり上條恒彦の信奉者で、俺とはJoeさんを
通じて40年来のつきあいだ。
今までに俺の演奏してきたライブ音源は、ほとんど全てと言っていい
ほど、彼がCD・DVDに編集して保存してくれている。


7/4のライブCDを、当日の来場者全ての皆さんに記念に贈ることにした。
制作に当たっては、Yくんはもとより練馬区に住むHくんにも大変世話
になった。
ダビング用の生CD-Rや送付用のパッド付き封筒の買い物、レーベル
印刷用に取り込む写真を、手が届かなくなってしまったスキャナーに
セットすることまで、こまごまとした作業も手伝ってもらった。


さて、そんなライブCDを受け取った一人。佐野市のKHさんから、写真
のような涼やかな葉書と共に礼状が届いたので「コンサートを終えて」
の感想の一文として紹介したい。


(「風薫る」南 正文 大阪府 口と足で描く芸術家協会)


『先日はCD送って頂きましてありがとうございます
びっくりしました!


八王子から越して来てから
8年がたちました。
4〜5年は大変でしたが、今は中島さんとも知り合い
ホームコンサートへも!!


正直、クラシック、ジャズばかり聴いてきましたので
今回は初めての歌ばかりでした。
でも、だんだん歌の中にすい込まれていきました。


あの時、夫が突然歌いだしたのにはびっくりでした。
内気で人前では唄わない人でしたから・・・
何かがそうさせたのでしょう、だって歌える歌がないのに!!
いつもクラシックばかりでしたから嬉しかったのでしょう。


夜はラジオを聴きながら糸と遊ぶ(テーブルセンターの
糸の始末)、糸を触っていると心が安らぎます。
部屋で音楽を聴きながら、これからも糸との生活でしょう。
その中で、時々思い出すと思います。


ホームコンサート嬉しかったです、
本当にありがとうございました。

歌を多くの方に・・・』


次にご覧いただくのは「絵手紙」です。
やはり7月4日のコンサートでは大変お世話になりました、下都賀
大平町の自称ばっちゃま事Sさんからです。
白髪(シラガではありませんハクハツと読んでください)の素敵な、
とっても生き生きとしていてフットワークのいい方で、今回もコン
サート作りの裏方として八面六臂の活躍をしていただきました。

じん様へ
 
「中島宅コンサートお疲れ様でした。
贅沢な時間でした、前にお会いした時より
男前になりちょっと胸キュンしてしまいました。
CDありがとございました、車で聴いています。
今日またCDいただきほんとうに有り難うございました。
20日)メールできなくて、少し時間(メール覚えるまで)が
かかると思います。
お礼ほんとに遅くなってしまいました、又お会いできる日を
楽しみにしております。では又・・・」 ばっちゃまより